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東京高等裁判所 平成7年(行ケ)180号 判決

埼玉県上尾市大字壱丁目513番地11

原告

高橋喜久雄

訴訟代理人弁理士

石原詔二

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官

伊佐山建志

指定代理人

内藤照雄

加藤恵一

吉村宅衛

廣田米男

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第1  当事者の求めた裁判

1  請求の趣旨

特許庁が平成2年審判第188号事件について平成7年5月11日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

2  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和57年3月23日、発明の名称を「マルチウェイスピーカーシステム」とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願(昭相57年特許願第44620号)をしたが、平成1年12月19日に拒絶査定を受けたので、平成2年1月18日に審判の請求をし、平成2年審判第188号事件として審理され、平成7年5月11日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決を受け、平成7年7月5日にその謄本の送達を受けた。

2  本願発明の特許請求の範囲

本願明細書の特許請求の範囲の記載は、次のとおりである。「(1)(a)ウーハーの分割周波数(ハイカット)を基準として各スピーカーの帯域のカット周波数を倍音成分に整えること;(b)各スピーカーの帯域のスロープを均一とすること;(c)各スピーカーの位相特性を等化すること;(d)各スピーカーのデバイディングネットワークの低音側のコイルの値(L1)及び低音側のコンデンサーの値(C1)及び高音側のコイルの値(L2)及び高音側のコンデンサーの値(C2)を決定するに際し、式、L1=R/2πf1×√2、C1=1/2πf1R×1/√2及びL2=R/2πf2×√2、C2=1/2πf2R×1/√2(式中、Rはスピーカーインピーダンス、f1及びf2は周波数である。)を用い、かつf1の値としてハイカット周波数及びf2の値としてローカット周波数を用いて算出し、L2=1/2L1、C2=1/2C1となるようにしたこと;よりなることを特徴とするマルチウェイスピーカーシステムのクロスオーバーネットワークの方法。」

3  審決の理由の要点

(1)  本願発明の特許請求の範囲は、前項記載のとおりである。

(2)  特許庁が平成6年5月17日付で通知した拒絶理由は、本願明細書及び図面の記載が下記の点で不備のため、特許法36条3項及び4項の要件を満たしていない、というものである。

(イ) 記載不備〈1〉

本願発明の特許請求の範囲及び本願明細書5頁に記載された式に基づくと、周波数特性は、「ハイカット」周波数及び「ローカット」周波数で-3dBとなり、「クロスポイント」周波数ではそれ以上の減衰特性となるが、第4図に記載された周波数特性では、「クロスポイント」周波数で-3dBとなっており、両者の対応関係が不明瞭である。また、前記式に基づく場合に、周波数特性が平坦となる根拠が明確でない。

(ロ) 記載不備〈2〉

本願発明の特許請求の範囲に「ウーハーの分割周波数(ハイカット)を基準として各スピーカーの帯域のカット周波数を倍音成分に整えること」が記載されているが、そのようにするとなぜ本願明細書7頁ないし8頁に記載されたように「全帯域内でウーハーを基準とした倍音成分が整い均一化される」のか、また、どのようにして本願明細書12頁に記載された効果が得られるのか、その根拠が明確でない。なお、「全帯域内でウーハーを基準とした倍音成分が整い均一化される」という記載自体その内容が明確でない。

(3)  請求人(原告)の主張

(イ) 記載不備〈1〉について

請求人(原告)は、本件発明者は、従来の手法のクロスポイントにおける上記した合成出力の盛り上がりの解消について、種々研究を重ねたところ、本願明細書に示した式を用いて、従来のクロスポイント周波数のかわりに、ハイカット周波数及びローカット周波数を用いることにより合成出力の盛り上がりが解消し、平坦化することを見い出だしたものであると主張し、従来の手法のクロスポイントにおける上記した合成出力の盛り上がりの根拠として、参考文献1(甲第8号証の2)を示している。

(ロ) 記載不備〈2〉について

請求人(原告)は、参考文献2(甲第8号証の3)を示し、ハーモニーの土台は主和音であり、楽音は、基準周波数の整数倍の規則正しい倍音で構成され、基準周波数に対して不規則又は無秩序な倍音を有するものは楽音として扱われず、不協和音又は雑音になるにすぎないものであると主張している。

(4)  審決の判断

(イ) 記載不備〈1〉について

参考文献1(甲第8号証の2)には、「-3dBクロスオーバー特性のディバイダー出力を合成してみると、図7-3のようにクロスオーバー周波数で明らかに3dB盛り上がりますが、これは電気信号の電圧合成だからこのようになるわけで、各チャンネルがスピーカーの出口まで完全に分離独立した形で導かれるマルチウェイ・スピーカーシステムはスピーカーから出た音が合成されるので、電気信号系で合成されることはあり得ません。」(103頁1行ないし7行)と記載されており、図7-3にはエネルギー合成(音響合成)の周波数特性が平坦になることが示されており、従来の手法のクロスポイントにおける上記した合成出力の盛り上がりは発生しないものと認められる。

また、上申書に添付された測定結果報告書(甲第9号証の2)を検討しても、そのFig.5ないしFig.11、Fig.16及びFig.17に示された特性からは、スピーカーの周波数特性が明らかでないので、デバイディングネットフークの特性を読みとることはできない。

さらに、Fig.13及びFig.15に示されたデバイディングネットワークのフィルター特性は、クロスポイントにおけるレベルが、およそ-2dBないし-3dBとなっており、クロスポイントにおけるレベルがそれ以上の減衰特性となる本願発明の周波数特性が平坦となる根拠とすることはできない。

したがって、本願明細書及び図面は、拒絶理由で指摘した上記(2)(イ)の点で不備であるといわざるをえない。

(ロ) 記載不備〈2〉について

請求人(原告)の主張自体は正しいものと認められる。しかし、請求人(原告)の「倍音成分が整い」とは、言い換えれば「倍音成分が形成され」ということであるとする主張は、「倍音成分が整い」の意味が「倍音成分が形成され」であるとしても、本願発明に用いられているコイル及びコンデンサーから構成されたいわゆる受動形のフィルターは、入力信号を所定の周波数特性に従って減衰させ出力信号とするものであり、入力信号に含まれていない信号を形成して出力する機能を有するものではない。

したがって、本願明細書及び図面は、拒絶理由で指摘した上記(2)(ロ)の点で不備であるといわざるをえない。

(ハ) むすび

以上のとおりであるから、本願は、当審で通知した拒絶理由によって拒絶をすべきものである。

4  審決を取り消すべき事由

審決の理由の要点中、(1)ないし(3)、(4)(イ)のうち参考文献1の引用部分、(ロ)のうち「請求人(原告)の主張自体は正しいものと認められる。」、「請求人(原告)の「倍音成分が整い」とは、言い換えれば「倍音成分が形成され」ということであるとする主張」、「本願発明に用いられているコイル及びコンデンサーから構成されたいわゆる受動形のフィルターは、入力信号を所定の周波数特性にしたがって減衰させ出力信号とするものであり、入力信号に含まれていない信号を形成して出力する機能を有するものではない。」との部分は認め、その余は争う。

審決は、次のとおり、従来の手法のクロスポイントにおける合成出力の盛り上がりは発生しないと誤認し(取消事由1)、本願発明のクロスポイントにおける減衰特性が-2dBないし-3dB以上となり、本願発明に係るスピーカーの周波数特性が平坦とならないと誤認し(取消事由2)、本願明細書の「倍音成分が整い」の記載の内容が明確でないと誤認し(取消事由3)、その結果、特許法36条3項及び4項の判断を誤った違法があり、取り消されるべきである。

(1)  取消事由1

従来の手法において、デバイディングネットワークのL(コイル値)及びC(コンデンサー値)は、本願明細書(6頁1行ないし5行及び第2表)に示したとおり、クロスポイントの周波数f(例えば600Hz)を用いて計算し、得られたL及びCの値を、L1=L2、C1=C2として用いたものであう。このような従来の手法においては、甲第8号証の4(昭和50年6月誠文堂新光社発行の無線と実験)に「クロス点付近にピーク、ディップ等がもしあったとしたら第6図の-3dBのように山谷が目立つことになりかねません。そんな場合に直面したときなど-6dBの減衰特性を選んでいれば最小限に押えることが容易でありましょう。」(194頁右欄9行ないし16行)と記載されているとおり、クロスポイントで合成出力が盛り上がるものであった。

また、甲第10号証(フォステクス株式会社発行のテクニカル・データ・シートNo.2)の「6dB落ちクロスのネットワーク(12dB/oct形)」の欄には、「表面に示したLCの計算式は、図のようにクロスオーバーポイントが3dB落ちてクロスするものです。組合わせるスピーカーによってはクロスオーバ点で総合特性にもり上りの出来ることがあります。」と記載され、盛り上がりの総合特性の例が示されており、続いて、「その場合は、6dB落ちでクロスするネットワークをすすめます。ハイカット用のコイル・コンデンサの計算では、クロスオーバ周波数(fc)の値を少し下へ(0.76倍)、ローカット用のコイル・コンデシサでは上へ(1.3倍)ずらして計算すると右図のように6dB落ちたところでクロスし、正相接続で総合特性がほぼ平坦になります。その計算式を下に示します。」と記載されており、その対策が図示されている。したがって、甲第10号証は、クロスポイントで合成出力が盛り上がってしまうこと並びにその対策を示すものである。

一方、甲第8号証の2(昭和53年11月日本放送出版協会発行のマルチアンプシステム)には、「-3dBクロスオーバー特性のディバイダー出力を合成してみると、図7-3のようにクロスオーバー周波数で明らかに3dB盛り上りますが、」(103頁1行ないし3行)と正当に記載されているところ、同記載に続いて、「これは電気信号の電圧合成だからこのようになるわけで、各チャンネルがスピーカーの出口まで完全に分離独立した形で導かれるマルチウェイ・スピーカーシステムはスピーカーから出た音が合成されるので、電気信号系で合成されることはあり得ません。」(3行ないし7行)という記載は、甲第8号証の4及び甲第10号証の記載に反するもので正当とはいえない。

結局、現実問題として、クロスポィントの合成出力は盛り上がってしまうものであり、実際に多くのマルチウェイ・スピーカーシステムを製作した原告も、このような合成出力の盛り上がりを経験しており、このような不都合を解消するために甲第10号証記載の対策等を含め数々の研究を重ねて本願発明に到達したものである。

したがって、従来の手法のクロスポイントにおける上記した合成出力の盛り上がりは発生しないとの審決の認定は誤りである。

(2)  取消事由2

(イ) 測定結果報告書(甲第9号証の2)のFig.5ないし8は、スピーカーの音圧調製前の伝送特性を示すものであり、スピーカーの周波数特性(リスニング・ルームの影響も必然的に含まれる)も同時に示されている。Fig.9ないし11は、スピーカーの音圧調整後の伝送特性を示すものであり、スピーカーの周波数特性(リスニング・ルームの影響も必然的に含まれる)も同時に示されており、Fig.10からは、デバイディングネットワークの特性を読み取ることができる。Fig.16及び17は、スピーカーの音圧未調整の伝送特性を示すものであり、スピーカーの周波数特性を読み取ることができる。

これらの図面は、デバイディングネットワークの特性そのものを測定しているものではなく、室内の伝送特性をスピーカーの調整前後において測定した結果を表示するもので、リスニング・ルームの影響があるにしても、Fig.5ないしFig.11、Fig.16及びFig.17に示された伝送特性から、スピーカーの周波数時性を読みとることができるものである。

したがって、これらの図面からスピーカーの周波数特性が明らかでない、デバイディングネットワークの特性を読み取ることができないとの審決の認定は誤りである。

(ロ) 測定結果報告書のFig.13は、アンプ付のデバイディングネットワークのフィルター特性を、Fig.15は、アンプなしのデバイディングネットワークのテストフィルターの特性をそれぞれ示しているものであるが、これらの図面においては、審決が指摘するとおり、デバィディングネットワークのクロスポイントにおけるレベルが、およそ-2dBないし-3dBとなっている。これらの図面において測定対象とされたデバイディングネットワークの回路図(Fig.12及び14)は、本願明細書の図面第3図のデバイディングネットワーク回路図に相当し、本願発明の実施例と同じ回路構成及び同じ定数を用いてテストを行った結果がFig.13及びFig.15に示されているものである。このことは、本願発明の構成のデバイディングネットワークのクロスポイントにおけるレベルが-2dBないし-3dBとなり、本願発明に係るスピーカーの周波数特性が平坦となっていることを実証しているものである。

したがって、本願発明のクロスポイントにおける減衰特性が-2dBないし-3dB以上となり、本願発明に係るスピーカーの周波数特性が平坦とならないとする審決の認定は誤りである。

(3)  取消事由3

「倍音成分」という表現は、本願明細書の特許請求の範囲において、「(a)ウーハーの分割周波数(ハイカット)を基準として各スピーカーの帯域のカット周波数を倍音成分に整えること」という構成に使われており、本願明細書の実施例において、「第3図に示したごとく、ホーン型5ウェイ構成とし、・・・具体的にいえば、第3表に示したごとく、ウーハー(1)のハイカットを200Hz、ミッドバス(2)のローカットを400Hz、ハイカットを800Hz、スコーカー(3)のローカットを1600Hz、ハイカットを3200Hz、トウイーター(4)を6400Hzでカットし、スーパートウイーター(5)のローカットを12800Hzと設定するのである。」(8頁7行ないし9頁4行)と記載されるとおり、各カット周波数が倍音となるように設定することを意味するのである。

原告は、「倍音成分が整い」という意味が不明であるとの拒絶理由の指摘に対し、上記した事項を「倍音成分が形成され」ということもできると述べたものであり、この表現は、本願明細書において「つまりその再生において、正確な倍音成分が形成されないために音楽的に不協和音として再生かつ再現されていたのである。」(4頁1行ないし4行)と記載されており、新たに持ち出した用語ではない。

審決は、「倍音成分が形成され」という表現をとらえて、フィルターには入力信号に含まれていない信号を形成して出力する機能はないと述べ、あたかも原告がフィルターが入力信号に含まれていない信号を形成して出力すると主張しているかのように記載しているが、原告はそのような主張をしていない。

したがって、本願明細書の「倍音成分が整い」の記載の内容が明確でないとする審決の認定は誤りである。

第3  請求の原因に対する被告の認否及び反論

1  請求の原因1ないし3は認め、同4は争う。審決の認定判断は正当であり、審決に原告主張の違法はない。

2  被告の反論

(1)  取消事由1について

-3dBクロスオーバー特性のネットワークは、クロスポイントにおいて-3dB(1/2)の特性を有するものであり、ネットワーク自体は平坦な特性を有するものであるから、-3dBクロスオーバー特性のネットワークのクロスポイントにおいて合成出力の盛り上がりが生じないとした審決の判断に誤りはない。

原告は、従来の-3dBクロスオーバー特性のネットワークは平坦な特性が得られない旨主張をしているが、その具体的な特性については示していない。

甲第8号証の4には、「クロス点付近にピーク、ディップ等がもしあったとしたら第6図の-3dBのように山谷が目立つことになりかねません。そんな場合に直面したときなど-6dBの減衰特性を選んでいれば最小限に押さえることが容易でしょう。」(194頁右欄9行ないし12行)という記載があるが、「クロス点付近にピーク、ディップ等がもしあったとしたら」、「山谷が目立つことになりかねません。」という文言から、組み合わせるスピーカに問題となるようなピーク、ディップ等がない場合には、盛り上がりの生じない平坦な特性が得られることが示唆されているものと解される。

甲第10号の「組合わせるスピーカによってはクロスオーバー点で総合特性にもり上がりの出来ることがあります。その場合は、6dB落ちでクロスするネットワークをすすめます。」という記載から明らかなとおり、クロスオーバー点における盛り上がりは、スピーカーの特性によるものである。

原告は、甲第8号証の2の「これは電気信号の電圧合成だからこのようになるわけで、各チャンネルがスピーカーの出口まで完全に分離独立した形で導かれるマルチウェイ・スピーカーシステムはスピーカーから出た音が合成されるので、電気信号系で合成されることはあり得ません。」(3行ないし7行)という記載について正当とはいえないとするが、dBは、電圧の場合とエネルギーの場合では、その算出の式が異なるものであって、電圧信号を合成する場合には3dB盛り上がるが、各スピーカーから音のエネルギーとして出力された後、空間で合成が行われる場合、すなわち、音のエネルギーの合成の場合には、合成された特性は平坦なものとなる。

したがって、甲第8号証の2は、-3dBクロスオーバー特性によって平坦な特性が得られることを示すものであって、原告主張のように解することはできない。

(2)  取消事由2について

測定結果報告書(甲第9号証の2)には、Fig.5ないしFig.11、Fig.16及びFig.17に示された伝送特性に対するリスニング・ルームの影響について具体的な記載はなく、当業者といえども上記伝送特性からスピーカーの特性を読みとることはできない。

また、Fig.10の伝送特性に対してもリスニング・ルームの影響はあるから、Fig.5等の場合と同様に、当業者といえども上記伝送特性からスピーカーの周波数特性及びデバイディングネツトワークの特性を読みとることはできない。

測定結果報告書(甲第9号証の2)のFig.13及びFig.15は、その具体的な測定方法は不明であるが、クロスオーバー周波数でおよそ-2dBないし3dBの特性となっている。しかし、その根拠は不明であり、また、クロスオーバー周波数を変えた場合、スピーカーの個数を変えた場合等の特性については不明であり、このFig.13及びFig.15の特性を本願発明の周波数特性が平坦となる根拠とするとはできない。

(3)  取消事由3について

「倍音成分」という表現は、本願明細書の特許請求の範囲の「(a)ウーハーの分割周波数(ハイカット)を基準として各スピーカーの帯域のカット周波数を倍音成分に整えること」という構成に使われているが、そのような構成とすることによりどのような特性が得られるのか不明であり、倍音となるように設定しない場合との相違も不明である。したがって、仮に構成に係る文言自体が明確なものであったとしても、特許請求の範囲に発明の構成に欠くことのできない事項のみが記載されているということはできない。

第4  証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

第1  請求の原因1ないし3は、争いがない。

第2  まず、原告の主張する審決の取消事由〈1〉について検討する。

1  甲第2号証(本願明細書)及び甲第4号証の2(昭和63年7月22日付手続補正書)によれば、本願明細書の発明の詳細な説明には、(1)本願発明の技術分野について、「本発明は、ステレオ再生を現実の音源に極めて近づけることができるようにしたマルチウェイスピーカーシステムのクロスオーバーネットワークの方法に関する。」との記載、(2)従来技術とその解決課題について、「従来、マルチウェイスピーカーシステムのクロスオーバーネットワークの設計においては、各クロスオーバー周波数におけるエネルギー合成が平坦であるとはいえずかつ位相特性を正相に等化することが困難であり、又各受けもち帯域におけるハーモニーが全く無視されているために不協和音となってしまっていた。したがって、その再生は、定位感、分解能、周波数特性、ダイナミックレンジなどの著しい低下の原因となり、現実の音源に近づくことは困難なことであった。詳細にいえば、クロスオーバー周波数では両方のスピーカーから同じ大きさの音エネルギーが出ると考えられ、合成された音圧は各音域の平坦なレベルと同じにならなければならないもので、スピーカーから出た音は音波となって耳に達するが、その大きさはスピーカーから出るエネルギーに比例する。つまり、空間で合成された音の木きさは、それのエネルギー和として耳に感ずることとなり、クロスオーバー周波数でも平坦域と同じ大きさに聞えるためには、各音域のエネルギーの大きさは1/2(-3dB)ということになる。そこで、従来のクロスオーバー周波数のディバイデイングネットワークでは、第1図の如き-3dB落ちクロスオーバーで、低音側のコイルの値(L1)及びコンデンサーの値(C1)と高音側のコイルの値(L2)及びコンデンサーの値(C2)との関係は、両方とも単にクロスポイントの周波数を用いて算出するだけでL1=L2及びC1=C2として設定していたものであった。これは-6dB落ちのクロスオーバーでも同様であった。この他に-3dB落ちの計算を下へ(L1)0・76倍、上に(L2)1.3倍ずらして計算するものなどがあるが、いずれにしても上述したエネルギー合成の特性が平坦になるものではなかった。」との記載、(3)本願発明の目的について「本発明は、上記の点に鑑み鋭意研究の結果発明されたもので、クロスオーバー周波数におけるエネルギー合成を確実に平坦としかつ位相特性を完壁に正相に等化するとともに各受けもち帯域にハーモニーを正確につけることにより、高い再現性を確実にし、ステレオ再生を現実の音源に極めて近づけることができるようにしたマルチウェイスピーカーシステムのクロスオーバーネットワークの方法を提供することを目的とするものである。」との記載、(4)本願発明の構成について、「前述したごとく、従来のクロスオーバーではいずれの手段によってもエネルギー合成の平坦な特性が得られないものであるが、本発明では、第1図のデバイディングネットワークにおけるL1、L2及びC1、C2の値を-3dB落ちの12dB/octのスロープによる算出式即ち、L1=R/2πf1×√2、C1/2πf1R×1/√2L2=R/2πf2×√2、C2=1/2πf2R×1/√2(式中、L1:低音側のコイルの値、C1:低音側のコンデンサーの値、L2:高音側のコイルの値、C2:高音側のコンデンサーの値、R:スピーカーインピーダンス、f1、f2:周波数)を用いて、f1をハイカット周波数とし、f2をローカット周波数とすることにより、エネルギー合成は各音域の1/2で合成され平坦な特性となることが判明したものである。」との記載、(5)本願発明の効果について、「以上のように本発明は、クロスオーバー周波数におけるエネルギー合成を確実に平坦としかつ位相特性を完壁に正相に等化するとともに各受けもち帯域にハーモニーを正確につけることにより、高い再現性を確実にし、ステレオ再生を現実の音源に極めて近づけることができ、さらにいえば、周波数特性が一段と安定感を増し、定位感が極めて明確となり、ステレオ感が強く強調され、前後左右上下にも広がり、また各音像に対し分解能が向上し立体的再生が抜群となり、このような効果に基づいて左右各スピーカーシステムの存在感が全くなくなってしまい、したがって、各音源の音色までも判断できるようになり、これによって、従来以上に倍音成分の再生が本来自然といわれる自然さに相当する再生が可能となり、従来困難とされていたマルチウェイの分割は、本発明方法により5ウェイ、6ウェイでも、いくつでも容易に製作が可能であるという著大な効果を奏するものである。」との記載があることが認められる(別紙図面参照)。

上記記載によれば、本願発明は、マルチウェイスピーカーシステムのクロスオーバーネットワークの方法に関するものであり、従来技術においては、各スピーカーのクロスポイントの減衰特性を-3dBとしていたが、スピーカーの合成出力は平坦とならず問題があったのに対し、本願発明は、特許請求の範囲記載の構成を採用することによって、クロスポイントにおける合成出力を確実に平坦とすることができるというものである。

2  そこで、本願発明が従来技術の問題点としているように、マルチウェイスピーカーシステムのクロスオーバーネットワークにおいて、各スピーカーのクロスポイントの減衰特性を-3dBとした場合にスピーカーの合成出力が平坦とならないのかどうかについて検討する。

(1)  甲第8号証の2によれば、昭和53年11月20日、日本放送出版協会発行の「マルチアンプシステム」中には、「クロスオーバー周波数では両方のスピーカーから同じ大きさの音エネルギーが出ると考えられます。そして合成された音圧は各音域の平坦なレベルと同じにならなければなりません。スピーカーから出た音は音波となってわれわれの耳に達しますが、その大きさはスピーカーから出るエネルギーに比例します。つまり空間で合成された音の大きさは、それのエネルギー和としてわれわれの耳に感じることになります。したがって図7-1のクロスオーバー周波数でも平坦域と同じ大きさに聞えるためには、各音域のエネルギーの大きさは1/2(-3dB)ということになります。・・・これに対して、音圧合成でフラットという考え方から音圧で半分になるクロスポイントを主張する人もいますが、マルチウェイ・スピーカーシステムはあくまでも空気中でそれぞれのユニットから出たエネルギーが合成されるという前提から、-3dBのクロオーバー特性をお推めします。このことは伝統的なLCネットワークのほとんどが-3dBを採用していることからも正しいものと確信できます。-3dBクロスオーバー特性のディバイダー出力を合成してみると、図7-3のようにクロスオーバー周波数で明らかに3dB盛り上りますが、これは電気信号の電圧合成だからこのようになるわけで、各チャンネルがスピーカーの出口まで完全に分離独立した形で導かれるマルチウェイ・スピーカーシステムはスピーカーから出た音が合成されるので、電気信号系で合成されることはあり得ません。」(102頁3行ないし103頁7行)との記載があることが認められる。

(2)  上記記載によれば、従来技術においては、マルチウェイスピーカーシステムのクロスオーバーネットワークの設計の際に、2つのスピーカーの音の重なるクロスポイント付近において、スピーカーの合成出力を、音域の平坦なレベルと同じようにするために、クロスポイントの音エネルギーの減衰特性を1/2(-3dB)としていること、本願発明の特許出願当時、上記の考え方に立脚して、スピーカーのクロスポイントの音エネルギーの減衰特性を1/2(-3dB)として、マルチウェイスピーカーシステムのクロスオーバーネットワークの設計をするのが技術常識であったことが認められる。

なお、原告は、甲第8号証の2中の「これは電気信号の電圧合成だからこのようになるわけで、各チャンネルがスピーカーの出口まで完全に分離独立した形で導かれるマルチウェイ・スピーカーシステムはスピーカーから出た音が合成されるので、電気信号系で合成されることはあり得ません。」(103頁3行ないし7行)との記載は、甲第8号証の4及び甲第10号証の記載に反するもので正当とはいえないと主張するが、具体的な根拠を示していないのみならず、後記説示のとおり、上記甲各号証はその主張を裏付けるものではなく、かえって、前記1(2)、(3)に認定した本願明細書の記載によれば、本願発明は、スピーカーから出た音を合成する方式のマルチウェイスピーカーシステムに関するものであるから、上記記載は正当というべきであって、原告の上記主張は失当である。

(3)  加えて、スピーカーのクロスポイントの音エネルギーの減衰特性を1/2(-3dB)とした場合、2つのスピーカーのクロスポイントにおける合成出力は、各スピーカーの音エネルギーの和、すなわち、1となって、総合特性が平坦となることは、エネルギー合成原理の上からも明らかというべきである。

(4)  そうすると、少なくとも、従来の技術常識及びエネルギー合成の原理によれば、マルチウェイスピーカーシステムのクロスオーバーネットワークにおいて、各スピーカーのクロスポイントの減衰特性を-3dBとした場合にスピーカーの合成出力が平坦となるはずである。

(5)  そこで、次に、原告が、本願発明において、いかなる技術的思想に基づき上記従来の技術常識及びエネルギー合成の原理を否定しているのか、その理論的根拠、技術的根拠について検討する。

まず、本願明細書の本願発明の解決課題及び構成に関する記載をみるに、前記1(2)、(4)認定のとおり、「空間で合成された音の大きさは、それのエネルギー和として耳に感ずることとなり、クロスオーバー周波数でも平坦域と同じ大きさに聞えるためには、各音域のエネルギーの大きさは1/2(-3dB)ということになる。・・・いずれにしても上述したエネルギー合成の特性が平坦になるものではなかった。」、「前述したごとく、従来のクロスオーバーではいずれの手段によってもエネルギー合成の平坦な特性が得られないものであるが、」としているが、それ以上に、従来の技術常識及びエネルギー合成の原理にもかかわらず、何故エネルギー合成の特性が平坦にならないのか明らにしていない。また、従来の技術常識及びエネルギー合成の原理自体を否定すべき根拠を開示していないし、示唆するような記載もない。

さらに、本件明細書の実施例の記載をみるに、本願明細書(甲第2号証)には、本願発明の実施例について、「以下さらに本発明の実施例を示して具体的に説明する。第3図に示したごとく、ホーン型5ウェイ構成とし、クロスオーバーネットワークを設計した。ウーハ型(1)(コーン、PIONEER PW-361)を200Hzに設定し、以下各スピーカー、即ちミッドバス(2)(コーン、ALTEC755E)、スコーカー(3)(ドライバー、EXCLUSIVE ED-915+ホーン、ALTEC 811B)、トウイーター(4)(ドライバー、JBL2402+ホーン、EXCLUSIVE EH-351S)、スーパートウイーター(5)(ホーン、JBL2405)のクロスオーバー周波数を倍音に準じて設定する。具体的にいえば、第3表に示したごとく、ウーバー(1)のハイカットを200Hz、ミッドバス(2)のローカツトを400Hz、ハイカットを800Hz、スコーカー(3)のローカツトを1600Hz、ハイカツトを3200Hz、トウイーター(4)を6400Hzでカットし、スーパートウイーター(5)のローカツトを12800Hzと設定するのである。また、この場合、基準になるウーハー(1)とミッドバス(2)のクロスポイントカ1300Hzになるが、各々のクロスポイントもその倍音即ち、1200Hz、4800Hz、9600Hzとなるようにクロスオーバー周波数を設定してあるものである。ミッドバス及びスコーカーの各クロスオーバー周波数は2octであるが、トウイーターのみを1octとしてある。」(8頁5行ないし9頁11行)との記載があり、また、同実施例によって得られる周波数特性を第4図に示すとして、図面の第4図に各スピーカーの周波数特性が示されており、これによると、各クロスポイントで約-3dBの減衰特性を示していることが認められ、かっ、本願発明の実施例という以上、合成出力の音エネルギーの特性は平坦になっているものと推認される。

上記事実によれば、本願発明の実施例では、各クロスポイントで約-3dBの減衰特性が得られ、その結果、スピーカーの合成出力の音エネルギーの特性が平坦になったというのであって、従来の技術常識及びエネルギー合成の原理を否定するどころか、かえって、これを確認した結果になっているというべきである。

(6)  原告は、現実問題としそ、クロスポイントの合成出力は盛り上がってしまうものであり、実際に多くのマルチウェイスピーカーシステムを製作した原告も、このような合成出力の盛り上がりを経験しており、このような不都合を解消するために前述した甲第10号証記載の対策等を含め数々の研究を重ねて本願発明に到達した旨主張し、その裏付けとして甲第8号証の4、甲第10号証を提出している。

甲第8号証の4には、マルチウェイスピーカーシステムのクロスオーバーネットワークにおいて、「クロス点付近にピーク、ディップ等がもしあったとしたら第6図の-3dBのように山谷が目立つことになりかねません。そんな場合に直面したときなど-6dBの減衰特性を選んでいれば最小限に押えることが容易でありましょう。」(194頁右欄9ないし16行)との記載があるが、同記載によれば、クロスオーバーネットワークにおいて、クロスオーバー周波数付近で、特性が盛り上がったり、逆にくぼんだりすることがあり、その場合の対策として、減衰特性を-6dBとするのが望ましいというのであって、反面、上記のような問題のない場合には、クロスポイントにおいて-3dBの減衰特性とすれば、盛り上がり等のない平坦な特性が得られることを示唆しているものと解される。

また、甲第10号証の「6dB落ちクロスのネットワーク(12dB/oct形)」の欄には、「表面に示したCの計算式は、図のようにクロスオーバーポイントが3dB落ちでクロスするものです。組合わせるスピーカによってはクロスオーバ点で総合特性にもり上りの出来ることがあります。その場合は、6dB落ちでクロスするネットワークをすすめます。ハイカジト用のコイル・コンデンサの計算では、クロスオーバ周波数(fc)の値を少し下へ(0.76倍)、ローカット用のコイル・コンデンサでは上へ(1.3倍)ずらして計算すると右図のように6dB落ちたところでクロスし、正相接続で総合特性がほぼ平坦になります。その計算式を下に示します。」との記載があるが、同記載によれば、スピーカーシステムの総合特性に盛り上がりが生じる原因はスピーカー自体にあり、通常は、クロスオーバーポイントにおいて-3dBの減衰特性にしておけば、総合特性として平坦となるが、例外的に、組み合わせるスピーカーによってクロスオーバーポイントで総合特性に盛り上がりが生じることがあり、その場合は、クロスオーバーポイントにおいて-6dBの減衰特性にしておくことが望ましいとしているものと解される。

したがって、甲第8号証の4も甲第10号証も、原告の主張を裏付けるものということはできない。

6 そうすると、当業者が、前記従来の技術常識及びエネルギー合成の原理に立脚して本願明細書及び図面を読んでも、従来技術において、各スピーカーのクロスポイントの減衰特性を-3dBとしているのに、スピーカーの合成出力が平坦とならない理論的根拠、技術的根拠を理解することができないから、本願明細書の発明の詳細な説明の欄には、当業者が容易にその実施ができる程度に発明の目的、構成及び効果が記載されていないといわなければならない。

第3  以上によれば、本願明細書は、特許法36条3項及び4項の要件を満たしていないことが明らかであるから、原告のその余の主張について判断するまでもなく、本願は拒絶をすべきものである。したがって、審決の結論は正当であって、その取消しを求める原告の本訴請求は、理由がないものというべきであるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を各適用して、主文のとおり判決する。

(口頭弁論終結日 平成10年9月29日)

(裁判長裁判官 清永利亮 裁判官 宍戸充 裁判官山田知司は、海外出張のため、署名押印することができない。 裁判長裁判官 清永利亮)

別紙図面

図面の簡単な説明

第1図は、デイバイデイングネットワークの一例を示す回路図である。

第2図は、本発明のネットワーク回路図の一例の回路説明図である。

第3図は、本発明の一実施例のネットワーク回路図である。

第4図は、同上の周波数特性を示す図面である。

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